旧ユーゴへの誘惑(オーストリア編)

ウィーンの交通拠点である西駅に列車が着かず往生した。
とにかくユースを確保しようとしたが小銭が無く困っていたら、 (朝早くにウィーンに着いたので両替が できない。)
これからウィーンを発つという外国人のバックパッカーが私にオーストリア のテレカをくれた。
こんな時国境を越えた何かを感じる。これが一人旅のいい点。
だから私もそのテレカをウィーンを発つ時に、別のバックパッカーにあげた。
ほんとは 自分の土産に欲しかったけど・・・。
彼に御礼を言い早速駅近辺の安いユースに電話を かけまくったが早朝な為、
まだ向こうもチェックアウトする人数が把握出来ておらず、 断られたり、
満ベッド!?(満室!?)と言われたので仕方なく、ウィーンの外れのトラム終着駅で降りる、
立地条件が悪い比較的空いていたユースに決定した。
これが後々の私の旅路の運命を左右する事に なろうとは誰も予想できるはずがなかった。
といっも私一人だったけど・・・。

三泊目の晩、私のベッドの斜め上の日本人が(カナダに留学中。
夏休みを利用し、ブダペシュトを拠点にしてボスニア→クロアチア→スロヴェニア→オーストリア と
旅をしてきた23歳(当時)の渡抜さん)私にボスニア行きを猛烈に勧めるのである。
私にとってボスニアは紛争中の危険地帯。
とても、とても・・・と言ったが、 彼はスロヴェニアとクロアチアの平和さを私に説く。
そして日本人はビザが必要無い という事を付け加えた。
話を聞く間に私はだんだん スロヴェニアとクロアチアぐらいなら行ってもいいかな?
と思うようになってきた。
極めつけの言葉は「クロアチアやボスニアにいったら戦車見れるし、 ボスニアは戦争の姿を生で見れる絶好のチャンスだ。」と力説する。

うーん、魅かれる・・・。

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