初日
雨のち曇り
サラエボのバスターミナルでファビオに紹介してもらったホストファミリーはBORIS家である。
軍人のお父さん、料理上手のお母さん、ボスニア戦争で狙撃され10ヶ月も入院したこともある落ち着いたお兄さん、4年間従軍して、今は犯罪学を学ぶ大学3回生で心理分析官の弟。
お父さんは元商店を営んでいたが、ボスニア戦争で軍人に転身し、今はオフィサーという地位にある。
まず、BORIS家で出された夕食のメニューは私たちの期待通りのボスニア料理。
英語が得意な弟が夕食に呼びに来た。
トルコ支配の影響を受けた料理ではあるが、MUSAKA(ムサカ)というポテトと卵と肉をオーブン焼きしたもので、めちゃウマ♪他にはオニオン付きトマトサラダ。美味い!!
食事も進み、会話が弾む。彼らはこちらが尋ねる前に戦争体験談を話してくれた。実はなぜボスニアに来たのか?と最初聞かれ、ボスニア戦争の情報はあまり日本に流れてこない事、戦争を知らない世代としてこの目で確かめておきたかった事など話していた。 そこで、BORIS家の弟ことダルゥコ氏は物価の話をした。
戦前は何もかもが安かったと。戦争が始まって、月給6ドイツマルク(以下DM)の生活のなかで 卵1個8DM、ガソリン60DM/リットル、タバコ(ボスニアで平均的に吸われるDRINA)10DM/個、 ゴラジュデ(激戦地の地名)ではタバコ80DM/個で米のみ支給されていたという。
それら高価な品々をどうやって手に入れたか?、今まで生き抜いてきたか?というと家にあった数々の 家具調度品を闇で売り、闇で仕入れたという。全て、生きていく為。
その夜、80%の人が失業しているという事実。20%の人が僅か200DMの月給でしのいでいる という現実を知った。
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ボスニアで平均的に吸われる煙草の銘柄は”DRINA”
ボスニアを流れる川の名前。私が行った時(’96.9)は1DM/箱。
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2日目
晴れ時々曇り
朝食はパンとはちみつとめっちゃ美味しいジャムそしてクセのあるチーズ
ダルゥコの兄は私たちが観光できるように街の中心へ借りてきてくれた車で街の中心まで連れて行ってくれた。
シートベルトはない。窓ガラスもない。サスペンションもガタガタでお尻が痛い。でも、借りてきてまで車に乗せてくれるなんて・・・。道路は砲弾が落ちたあとだろうか? ぽっかり口を開けた場所が至る所にある。それも半端な大きさでなく、車一台はまるまる 入りそうな窪みである。行く道すがら、彼は色々建物の説明をしてくれた。 ちょっとした観光ガイトである。
昼は観光。街のオープンカフェに入った。そう、もう平和が徐々に戻りつつあるのだ。人々は太陽の下、お茶して話に華を咲かせている。1DM/杯。ちなみに世界のジャーナリストの 拠点「ホリデー・イン」ではカプチーノが3DM/杯。
でも、どうしても街に残された戦争の傷痕に目が行く。砲弾の後、ガラスのない窓。いまや、子供の隠れんぼの場と化した廃屋、等々。
食事の店に入っても材料がないと言って最も高い料理しか提供してくれないレストラン (もちろん、その店は出たが・・・)やっと見つけたと思えば8DMのスパゲティー。オーナーは作りすぎたのか?お代わりを勧めるのでもらうと皿が山盛りになって戻ってきた(笑) 歩いてBORIS家に戻る。道中、子供たちに道を聞き、チョコレートやおかしをお礼にあげる。 戦争でなかなか甘い物にありつけない子供たちは大変喜んでくれていた。
夜はダルゥコの彼女とその姉もやってきて賑やかなディナーとなった。
ボスニア戦争の話もまた出た。この日はセルビア人と当時の国連の明石康代表が批判の対象となった。
明石代表がセルビア系ボスニア人以外にそう思われるのは仕方がないことだ。 対話による和平を目指した明石代表とセルビア悪玉説を掲げる欧米諸国とでは その対立構造から明石代表が全ての層に受け入れられる事はありえない。ましてや 非セルビア人からすれば悪者そのものである。これにはボスニア史を語らずして理解されないだろう。 機会があればここで紹介するのもいいかもしれないと思う。
ディナーのメニューはこうだった。ボスニア風パン(特別らしい)、目玉焼き、焼きピーマン、オニオン・トマトサラダ、2種類のチーズ(牛、羊)、種々果物、デザートでチェリーの砂糖漬け。
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ダルゥコの兄は盆栽が好きで戦前はやっていたという。
今はそんな余裕はないが、落ち着いてきたら再開したいと
盆栽の本を見せてくれた。願いが叶うのも遠くはないだろう。。
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左からお兄さん、ダルゥコ、その彼女、その妹、旅連れ、私
BORIS家の夕食風景
3日目
あっけない別れだった。6:30に起きて7:15のバスに間に合うようにと お兄さんが車で送ってくれた。すぐに出発の時が来て、熱く抱き合って、、、(でも照れくさい、、) 私たちは戦禍の残る街”サラエボ”を後にした、、、
行き先はドヴロブニク。最高に美しく、街全体が世界遺産という街です。
