イエメン滞在最終日の朝、アザーンで目覚める。
でも、早過ぎるのでまた寝る。 2度目の目覚め。私は宿変えをしたので、以前泊まった宿の そばのシャーイ屋に行く。一杯5リヤル。
そこであるイタリアーノの 初老から声をかけられた。「こっちに住んでいるのか?」「いや、 単なる旅行者だよ。」
彼はアラビア語を学ぶためにイエメンにもう かれこれ十何年も住んでいるという。そして、ムスリムであることも 私に告白した。
一般人はあまり英語を話さない(話せない?)この国で久々に話すのかどうなのかは分からないが、彼は饒舌になって 行く。故郷(クニ)の話、ムスリムの話、私について興味を持った ことすべて、、、随分話し込んだものだ。
長い朝食となった。 彼は私のお茶代を一緒に払ってくれて、私のたびの安全を祈り、 シャーイ屋を後にした。
お昼は簡単に済ませ、最後の街散策をする。やはり、オールドサナアは 美しい。
そして、リッチにタクシーなんか使っちゃったりして空港へ。I氏夫妻とも再会、ガルフ航空194便でサナアから空路アブダビへ。
アブダビ空港では私がお土産に買ったイエメンの民族ナイフである ジャンビーアが刃物であるとして手荷物預かりとなってしまった。
ナイフといっても刃の部分は切れ無いように施してあり、まさか 取り上げられるとは思わなかった。しかし、搭乗直前にもめてしまい 搭乗拒否されるのも困り者なので大人しく預けることにした。
さて、離陸の時間が来たのに飛行機が動かない。キャプテン(機長)の アナウンスで私はガルフ航空152便がバーレーン線との接続待ちで 遅れることを知る。
まっ、アラブだしそんなこともあるかなぁ なんて思っていた。ちなみに香港での乗り継ぎは一応1時間あるから 多少の遅れは大丈夫である。
しかし、待てど暮らせどあとから乗って来るはずの乗客が一向に現れず、どれくらい待っただろうか?少し 不安をよぎる。
どれくらい、待っただろうか。ようやく、乗客が 乗り始めて飛行機が離陸体制に入った時は時間も忘れるくらい でした。
飛行機では爆睡。この旅ではハッキリ言って寝る間も惜しんで 動き回った。
その疲れが今ごろ出てきたのだろう。食事の時間が 私の目覚まし代わりでした。やはり、起きると気がかりなのは 飛行機のarrival time。スチュワーデスに確認を取る。
が、着陸予定時刻が乗り継ぎのフライト離陸30分前だという。 これでは手荷物で預けさせられたナイフは取り出せない。
ギリギリ自分のチェックインするのがせいいっぱいだ。 (乗り継ぎはキャセイパシフィック航空のため、チェックインが 香港の空港で必要でした)
これは少しでも早く ”こと” を進めるためにスチュワーデスとかけあい、チェックインに間に合うように早く飛行機から降ろしてもらえるように交渉した。
また、乗り継ぎのフライトが出てしまわない ように地上スタッフに連絡をとってもらいそれなりの措置をとる よう依頼した。
彼女たちは快諾してくれて、ファーストクラスの 乗客と同じタイミングで飛行機から降りれるよう手配してくれる よう約束してくれた。
飛行機の首が下を向き始めた時、いよいよ運命の時が来るのを その肌で徐々に感じ始めました。ドン!車輪が地面と対面した時、 胸の鼓動が激しくなると同時にチェックインカウンターに走るため 心臓が準備を始めたのか?ドキドキドキドキ。
飛行機ってやつは着陸してからが意外に長い。ノロノロと空港内を 歩を進める。フッと時計に目をやる。
次のフライトCX502便の departure timeは16:20。ただ今の時刻、ポーン!16:00 ちょうどをお知らせします。(お間抜け時報風に・・・)
ひぇぇぇ~あと20分やん!飛行機はようやく止まった。 私はいつも降りる時は前の人が動き始めてから席を立つというノンビリ派だが、この時ばかりはたち上がった。
するとさっき約束した スチュワーデスが人を掻き分け私の元にやってきて先に進めるよう 先導してくれた。
で、他に同じ便に乗る日本人が居るか?と聞くので とりあえず、I氏夫婦が居ることを告げた。その時、I氏夫婦は どうしていたんだろう?聞くのを忘れた(^^;;
機体のハッチが私の目の前で開けられる。これを見れただけでも 感動!で、ダッシュするとキャセイパシフィックのグランドスタッフが居た。
なんだか知らないがすでにチェックインは勝手にされてたみたい。 で、私はグランドスタッフにジャンビーアという手荷物を手早く ピックアップしたい旨を伝えると、香港ガイはトランシーバで色々 問い合わせてくれた。
で、どこかに消えていったので私は不安になり 別のスタッフにまた駆け寄り、荷物の話をする。この時の英語力は 今までの人生でトップクラスだったのでは?
まさか、英語でこんな クレーム処理ができるなんて、、、人間追い詰められると何するか 分からんな(笑)
私のアツイ思いも虚しく、香港ガイの宣告が私に下った。 「君の荷物は間に合わない、グズグズしてると君は飛行機にすら 乗れない。荷物はわれわれが責任を持って日本の君の元に送るから あとは日本のスタッフに言ってくれれば良い。とにかく急げ!」と。
私は後ろ髪ひかれる思いであったが私が乗れなければ意味がないので CX502便に乗りこんだ。CX502便は無事、関西国際空港に降り立った。
私も無事。 関空でロストバゲッジの手続きをする。明日のフライトで恐らく ほとんどが帰ってくるというので愛しのジャンビーアは明後日には 再会できるだろう、、、と思っていたのに。。。。。。
来ない!おかしい。なぜだ?私はすかさず関空の手続き時に聞いた 電話番号に電話をする。「この番号は現在使われておりません。」
へ?どーいうこと?仕方なくその時もらった紙に書いてあったところに電話すると、 手荷物関係は別の電話番号だから掛けなおして欲しいと言われる。
シブシブ、掛けたら担当は欠席。代わりの人に話をして事情を聞くと なんだかハッキリしない。とりあえず明日電話をよこすように言って 電話を切った。
とりあえず翌日待った。が、朗報はなかった。ただ見つかっていない という連絡が私の家族にはあった。
私の家族は電話主の名前と連絡先を 聞いたが、私が知っているからと教えてくれなかったそうだ。 その翌日。また連絡がない。荷物はなくなったのか?不安がよぎる。
それよりもキャセイから正しい連絡がないのが癪に障り、怒り、電話をただ待った。担当は話にならず、前回の代理の担当も話がわからなすぎる。
仕方ないので後日会社のほうに電話があったとき担当者の上司を電話口に 呼び出した。「どーいうことやねん、関空で教えられた番号は間違ってるわ、 渡された紙に書かれた番号は部署が違うってかけ直すように言われるし、 挙句の果てに状況報告の電話の主は電話番号を私が知っていると言い、 教えなかった。
私は間違った番号を教えられていたというのに。。。 何で電話番号を教えられへんねん。(なんか、やましいことでもしとる んかー!って怒鳴りそうになった)
とにかく、どーいうつもりなんじゃー」と。数日後、やっと朗報が届けられた。「荷物がアブダビまで戻っていて 二日後には香港に戻りますのでその二日後にはお届けできます」と。
私は今や私担当に成り下がった元担当者の上司の人間と話をした際に なぜ?このように電話対応が悪い、電話連絡が入らないなどのお客様 軽視のトラブルの対応になったのか、報告書の提出を求めた。
しかし、後日届けられたのは何も入っていないただ単なる詫び状であった。 私は詫び状なんか気分が悪いだけじゃ!と思ったけもののそのヒート 状態も一晩寝て冷やされた。
相変わらず怒りやすく、冷め易いタイプだ。 (えへ、、、でもちゃんと届きました、ジャンビーア ^^;;)
ほとぼりも冷め3ヶ月以上たった8月末のある日、キャセイパシフィック から一通の手紙が届いた。オリジナルテレカを添えて。。。
関空の手荷物係りからではなく、日本法人の本部?からだった。 くそぉ、なんかしてやられた感じがする。(モノで釣られた?) これで一件落着にしないといけないな。
悔しいけど人気ナンバーワンのキャリアだよ、キャセイさんよ。