「東中欧」カテゴリーアーカイブ

プラハ幻影(チェコ編)

チェコには前年(’94)に行った事があったが、首都のプラハ のみであった。しかし、プラハの美しさが忘れられず、もう一度行きたいと思いポーランドの ブロツワフから夜行列車で行った。ビザはポーランドのワルシャワにあるチェコ大使館で32ドル だった。即日発効であったがドルの現金が必要でまだまだ東・中欧の経済状態が信頼されて いないのだなぁ・・と実感。
夜行列車がプラハ駅に到着し、降り立った瞬間スーツ姿の サラリーマン風の男がむちゃくちゃブロークンな英語で宿はとっているのか?と 聞いてきた。実は東・中欧にはプライベートルームといって一般家庭が空き部屋を 宿として安価で提供してくれるのだ。彼もそんな商売をする人間でとりあえず値段を聞く。 日本円に直して800円くらいを要求するので食事はついているのか?と聞くと、 私は銀行で働いているのでそれはできないがデザートと紅茶なら出せると言う。 じゃぁ、部屋を見せてくれというと地下鉄に少し乗り(当然、その代金も払ってもらう。) 終点までとうとう行ってしまった。もうそこはプラハ郊外の住宅地だったが閑静な ところで結構気に入ってしまった。結局、あと50円ほどまけてもらい早速紅茶を ご馳走になると彼は急いで会社へ向かった。


彼の名はミラン・ヤクルさん。ちょっとした日本通? なぜかというと仕事から帰ってきた彼がしきりに私に見せたいビデオが あるという。まぁ、いっぱいやりながら見ようじゃないか?と言われ ほんならチェコのビールを呑ませてくれ。と頼むと彼は非常に喜び、 ついで、つがれての繰り返し、そして始まったビデオはなんと日本の 紹介するテレビ番組の録画だった。 古めかしい日本人の姿が映ったかと思うと、美しい風景が現れて、 盆栽が映し出され、混雑した通勤電車の様子まで、そしてタイトルが デーンと。「魅惑の国、ニッポン」とでも出ているのか? ビデオはある日本人家庭の様子を伝えている。 子供が箸を使って豆を食べようとするがポロポロ落としている。 しまいには食べているものを落としまくる。 (そんな様子を外国に垂れ流しすなっ!っちゅうに!!) それを見てヤクル氏はゲラゲラ笑っている。 呑みすぎてかどうか、とうとう笑いが止まらない。 (オイオイ、どーすんねん?誰が彼を止めんねん!!) しかも、段々英語が怪しくなってきて彼の得意な方の外国語である ドイツ語がポンポン飛び出してきた。私はついに解読不能に陥った。
それでもビデオは回りつづける、ヤクル氏と私を置いて・・・

それからしばらくヤクル氏と私の「Prosit!(乾杯!)」は続いた。

アウシュビッツへ向けて(ポーランド編)

 ポーランドへ来た目的は一つ。かの有名な
アウシュビッツ強制収容所を訪れる為である。
日本人の多くはアウシュビッツがドイツに
あると思っているらしいが 実際はポーランド
の古都クラクフの近くのポーランド名
「オシヴィエンチム」という小さな村を指す。

 収容所の見学は誰でも簡単に出来るクラクフ
駅前のバスターミナル からオシヴィエンチム
行きのバスに乗る。朝八時ごろの便に乗る方が
ビルケナウというもう一つの強制収容所跡も
見学できる 時間を作れるので良い。勿論、
バスターミナルで群がって来るタクシー運転手
は無視学生だから金が無いといっても、学割
料金にしてやると話を持ち掛けてくるるが、
バスとは比べ物にならない上にまともに英語が
話せないのに英語のガイドが 出来るという
物だから厄介だ。注意点をもう一つ挙げると
オシヴィエンチムで降りる際、バスの運転手
に帰りの便の時刻を聞いておくと見学の際、
目安になる。

アウシュビッツ強制収容所(オシヴィエンチム)

 ”ARBEIT MACHT FREI (働けば自由になる)”
という この収容所の門のこの言葉に騙され、
殺された人の数は400万人とも・・・。
 この門から再び出てくることを夢見ていたに
違いないのに、ほとんどの人が 出てくる事が
なかった。
 世界遺産には”負の遺産”として登録されている。

ビルケナウ強制収容所”死の門”(ビルケナウ)

 この収容所の入り口「死の門」を鉄道の
引込み線 が通っている。多くのユダヤ人が
貨物列車で運ばれここを通っていった。
 そして、この先には当時のまま、煉瓦造り
の収容棟が未だに立ち並んでいる。
 私は一歩中に入った瞬間、寒気がした。
「シンドラーのリスト」という映画でここが
映っていたのではなかったか?

怒涛の東欧縦断(東欧編’95)

1994年の一人旅でプラハを見てしまった
私は欧州の割に低い物価、査証(ビザ)が
旅券(パスポート)に残るので、とても
かっこいい、周りに東欧に行っている人が
いない ので珍しがられそう・・・等々の
くだらない理由で1995年8月15日関空から
モスクワ (泊)経由で翌16日ワルシャワへ
これまたチケットだけ取って旅立ちました。

しかもどうせ行くなら、北から南まで制覇
しようとたくらんで・・・縦断を決意。

・アウシュビッツへ向けて (ポーランド編)
・プラハ幻影 (チェコ編)
・旧ユーゴへの誘惑 (オーストリア編)
・偶然 (スロヴェニア編)
・渡航自粛勧告 (クロアチア編)
・ドナウを眺めるといふ事 (ハンガリー編)
・ラテンのノリってこれ? (ルーマニア編)
・どんぶり勘定 (ブルガリア編)